劇場でもない
美術館でもない
小さな街角にある、小さな家具屋。
ちょっとしたパフォーマンスやコンサートやイベントが、
生活の一部を扱う『家具屋』で行われるその様は、
一見すると、奇妙に見えるかもしれません。
しかしそれは奇妙なことでしょうか?
特別な時にしか触れない特別な芸術も、もちろん素晴らしい。
だけど日々の生活の中にも、アートは存在します。
そんな瞬間に出逢うことで、世界がちょっとだけ違って見えたり、それまで知らなかった人と話したり。
むしろ私たちに必要なのは、日々の生活の中にひそむ
美しい瞬間に、どれだけ目を向けることができるか、
かもしれません。
※Divadlo(ヂバドロ)とはチェコ語で『劇場、演劇』という意味の言葉です。
雨の日曜日。子連れで福岡市内なんかへは決して行きたくないお天気でしたが、えいやっ!とおでかけしたら、脳みそがカッカッと活き活きするような出逢いがあったので、思わず連投。
たまたま見かけた広告で、こどものカタチというサイトの存在を知り、その充実した内容と、自分の関心との一致に心躍らせたのが数週間前。車で行ける距離で研究会が開催されると知り、一も二もなく申し込んだのが、こちらのイベント
子どもの本屋メリーゴーランド京都店の店主、鈴木潤さんの出版記念講演でした。
諸事情により、30分も遅刻したので冒頭は聞き逃しましたが、聞き逃しても充分興味惹かれる、魅力溢れるお話でした。
開店の経緯等は冒頭部分だったのか聞けていないのですが、詳細はこどものカタチにインタビューとして掲載されています。
こどものカタチ/鈴木潤さんインタビュー
聞き手のこどものカタチの遠藤さんのテンポも秀逸で心地よく、リラックスしてお話を聞けて、さらに興味を持ちました。
何より、こういうことを公言するのがなんだか気恥ずかしい、でも、日本人気質とか言われるとムっとしてしまうのですが、
今、私が過ごしているこの日々は、かけがえがない、何とも引き換えにならないほど美しく、貴重だ。ということをゾッとする程感じる毎日なのです。例えば、私の夜の過ごし方はここ数ヶ月、いや、1年ほど?お風呂も食事も終えた息子を、早ければ21時前にはベッドに連れて行き、今日の絵本を読んであげ、そのまま自分も寝てしまう、というものです。当初、圭くんが寝かしつけをしてくれていたのですが、この寝る前の絵本、という至福の時間のあまりの幸福度に気付いたわたしはあっという間に圭くんからその貴重な仕事を奪ってしまいました。とはいえ、結構圭くんも一緒に寝落ちしてますが。
聞き手の遠藤さんが仰っていたのですが、多くのこどもは「魔法に近いところにいる」。まさに想くんもそんな感じで、ファンタジーの世界を生きる、妖精だなと感じる瞬間が多々あります。というか、24時間ほぼ妖精。それほど彼らが見ている世界は、私が忘れてしまった、そしてもう思い出せないかつての風景を新鮮に突きつけてきます。ああ、彼らにはこんな風に見えている。彼らにとって重要なのは、このポイントだったのか。日々、宝石のような発見が両手のひらからぼろぼろざあざあ落ちて、ああ、あっという間に終わってしまう時代なのに、私はなんてもったいないことをしているのだろう。と、日々切ない気持ちになります。
今日のお二人のお話は、そんな私が日々感じていている口惜しい感じを代弁してくれたような、2秒に一回「そうそう!うちも、そうそう!」と思うようなお話でした。
そして私の心をがっちり掴んで、寝かしつけの後、寝付けずにブログまで書かせてしまったのは、最後に紹介くださった絵本があまりにも素晴らしかったから。
死というよりもむしろ生を、めぐる命を取り扱っているお話。独特の絵のタッチに、想くんも目が釘付けになり、最後までなんというか・・・困惑?しているように見えました。ポジティブな意味で、困惑。なんだかわからないものに触れた時の、あの、何とも言えない反応。そしてその後、あっさり、ぐう、と寝ました。
ああ、すごいなあ、寝るんだ。こんなすごい本を読んだ直後に眠るんだ。とその事実に感動。このブログに至る。
木葉井悦子さん、もう亡くなられているんですね。初めて知りました。本当に素晴らしい本でした。
と、久しぶりに脳みそをかき回した午後でした。
どっしゃーん!と声を大にして言いたい程溜め込んでいた事務仕事を締切前にきっちりやっつけたので、爽快な気持ちでブログを書かせていただこう。
4月に店長の保育園の先生ががらっと大幅入れ替えになってからというもの、人見知りの彼はなかなか緊張感のある日々を送っていました。4月中頃からははっきりと「保育園行きたくない!」と言い始め、まるで1年前に戻ったかのように入り口で号泣。という日々が続いており、心を痛めておりました。が、たまたま車で聞いていたCDに「100%勇気」が入っていて、最初はノリノリ、アゲアゲなその曲が嫌いだったのに、徐々になぜかその曲をリクエストするようになり。何度かかけているうちに急に黙り込んで「かあたん!そうくん、保育園、がんばる!」と宣言したのが1週間程前、以来、ほぼ毎朝100%勇気を聞いて、がんばる宣言をして、保育園に泣かずに行くようになりました。うーーーん、私は個人的に、さほどノリノリ、アゲアゲな人種でもないので、ヘイヘイ!煽ってまで行かせるのも嫌だなあと思うのですが、せっかくがんばる気持ちになってるのをわざわざ潰すのもかわいそうなので、「疲れたらいつでも泣いていいし、やめて良し。」とだけ伝えて見守ることに。という5月。
今年もどくんごに行った。というのが最近の大きめのトピック。安定の、世界観だった。今年は店長も連れて行った。ちなみに前日は映画館でディズニーのズートピアを見ている。ディズニーからの、どくんご。世の中には色んな人がいる。幅広い作品に親しんでいただこう。
まあでも、どくんごではさすがに2歳児はちょっと周りのかたに迷惑だったかなぁと反省。申し訳なかったです。でも外に出て、ユキモン一家とビールケースに座って袖から観たのがものすごく感動的だった。ぴかぴか光るテントの中でほとばしっている、熱。音響効果の計算外の場所で聞く、音。心臓みたいだな、と思った。どうか事故に気をつけて、出来るだけ長く、彼らの作品が見られますように。
さて家具のこと、人形劇のこと、このあとも色々続きますが、とりあえず6月上旬は東京に少し行きます。9月は京都。秋からは人形劇の上演がいくつか。詳細はおいおい。
とりあえず一番今見せたいのはこれ。
歳を重ねると人は野菜を育てたくなるのか。ついに今年、禁断のプチトマトに手を出してしまった。
店長が植えました。名前はアイコちゃんとウサコちゃん。実家の畑の土をわけてもらったらエラく成長してしまい、わき芽を取らないといけないのにすっかり伸びてしまったので
挿し木にしてやります。
楽しみです。
地震から今日で10日ほど過ぎました。
熊本、大分で被災された皆様には、心からお見舞い申し上げます。
未だに余震が続いているので落ち着いた気持ちはあまり無いですね。
東日本大震災のことがあるので、九州が地震、というと震源から遠く離れた北九州のことも心配してくれる遠方の友人が少なからずいてくれました。実際にしんどい思いをされている方を前にして、私が無事を報告するのもおこがましく感じたことと、震災後はSNSから遠ざかりたかったので、静かにしていました。ご心配頂いた方々、ありがとうございました。私たちは全くもって元気です。何の不自由もありません。
熊本に住んでいる知人の無事は確認されたものの、震災後すぐの混乱した状況の中で、食料もない、避難所もいっぱいで入れないので車の中にいる、飲物だけは飲んでいるという状況を聞いて、ただ胸を痛めるしかできない自分にやりきれない日々でした。北九州では市営住宅へ受け入れの準備もあるし、宿泊施設を開放していたりもします。余震が未だに続いているので、少しでも心休めてもらえたらと思うのですが。。。おいそれと行ける距離でもないので、気持ちは想像できます。自分たちに出来る支援を、長く、ゆっくり続けて行けたらと思っています。
今回は北九州も揺れました。数日は寝室に貴重品や水やオムツを置いていつでも逃げられるようにと準備をして横になったけど、結局数時間おきにけたたましく緊急地震速報が鳴るので眠れない夜を過ごしました。でもそれもほんの数日のこと。翌日からちゃんと仕事もしたし、保育園にも行けています。2日目の本震の時、夜中に緊急地震速報が何度も鳴って、想くんも目を覚まして少し怯えていました。翌朝も余震があってちょっと怖かったようで。その後、突然緊急地震速報の真似をしたり、ちょっと妙なそぶりを見せるので、心配していたのですが、今日ネットでこんな記事を見かけて少し安心しました。
誤解しないで。震災後に子どもがやる「変わった遊び」
『子どもはうまく言葉で表現できない部分、遊びという行動によって、癒されていきます』
教えてもないのに、こっちがびっくりするほど本能的に、こどもたちは生きている。私たちなんかより、よっぽどたくましい。見習わなきゃいかんですね。
東日本大震災の時、私は宮崎に居て、あと数週間で福岡に帰る、という時でした。
あの震災の時、ニュースやSNSを見すぎて、正直ちょっと辛くなってしまった時期がありました。何度も繰り返される悲痛な映像やSNS上で繰り広げられ続ける色んな人の色んな動き。デマ。メディアとの付き合い方は私にとってはとても重要な問題だとその頃から思うようになりました。
今回は、自分の為にも家族の為にも参っている時間はないので、ちゃんとコントロールして、冷静に、と心がけています。最低限の情報収集にとどめてPCとスマホはなるべく見ないようにつとめています。
自分ができることを、少しずつ、長く。傷ついた方のことを最優先に。
色んな人が色んなことを言うし、色んな人がいますが、おてんとさまは見ているぞ、と。肝に銘じて。
なんだかまた忘れられない時間を過ごしたので、忘備の為記録。
日曜の夜想くんが2回目の熱性けいれんで救急搬送、入院して、諸々あって一日で出ることになった。無力感でいっぱいの、深夜。
日曜朝から発熱。熱の上がり方が早かったのと、39度超えていたので救急に連れて行ったけど、熱が出てすぐはインフルの反応が出ないので検査しない。が、インフルの可能性大とのこと。熱冷ましを積極的に使うよう勧められる。その時はけいれん止めのことについては特にこちらも聞かなかった。結構食欲があったり、元気もあるように見えていたのと、なにより2回目があるとは思っていなかった油断。保育園に通い始めて9ヶ月目の先月1月は、一度も体調を崩すことなく、大雪で一日だけお休みした意外、週6日も保育園に通っていたので、ずいぶん強くなったと誇らしく思っていた。熱性けいれんは1回しか起こさない人が65%、とか7割、という統計を見たりしていたので、まあ大丈夫だよ、くらいに思っていた。
夜になってちょっとだるそうにしたり、なんだかまばたきがやたら多いと気付く。圭くんが膝の上に載せている時に一瞬脚がつっぱるような動きを見せたりして少し不安になる。その時にけいれん止めを入れるべきか、否かでしばらく話すが、結局迷って入れず。万が一けいれんした場合も救急車呼んで良いものかどうかについてしばらく話をする。7時半頃に寝かしつける時も結構機嫌良くお話しして、私のマスクを取ったりして布団の中で遊んでいた。「ちょっとおなか痛い」とかなんとか言ったその時、突如目がぱっと開いたと思ったら、思い出したくもないあの目つきに一瞬で変わった。前回よりは落ち着いて、時間を計ったり、様子を口に出して確認したりしたけど、やっぱりもう本当に心から、二度と見たくないあの姿。胸が潰れる。
やっぱり怖くて救急車を呼んでしまった。けいれん時間は3分。おわりがけに左右非対称の動きを見せたので不安。救急隊もすぐに来てくれて前回と同じ救急病院へ。
診断は案の定のインフルエンザ。2回目のけいれんということもあり、左右非対称の件もあるので、入院することに。
諸々手続きや点滴を経て病棟へ移動。その途中で看護師さんが
「ご案内する部屋はインフルエンザのお部屋なんですが・・・同室のお子さんが付き添いがいなくて・・・ちょっと泣くんですよ。。。申し訳ないです。」
小児科に入院すると付き添いがいない子がたまにいることは前回の入院で知っていたけど、まあつきそいが居ても泣く子は泣くし、想くんだって泣くこともあるのでお互い様、ぐらいに思っていた。
病室に入って、ぎょっとした。
すっ裸で、幼児用のベッドの柵にしがみついて叫んでいる女の子。
「ごめんなさいね、脱いじゃうんですよ。はい、◯◯ちゃん、パンツはいて!」
2歳にならないくらいだろうか。想くんより体は大きいけど、言葉ははっきりしない。胸に大きな手術痕のある、女の子。ベッドの周りには脱ぎ散らかしたオムツがいくつか、シーツやベッドパッド、枕、布団、おもちゃ・・・。マットレスの上はおもらしの跡がたくさん。よほど病院とはかけ離れた状況にしばらく頭が付いて行かず。想くんの点滴ガラガラを押しながら「いや、これ普通の状況じゃないよな。」と何度も思いつつもとりあえず想くんをベッドに寝かしたり、諸々整えたり。その間も延々叫ぶ女の子。看護師さんもしばらくは女の子の相手をしていたけど、そのうちさじを投げるかのように出て行った。その背中に向かって叫ぶ女の子。
タイミングよく想くんが眠ってくれたので、ちょっと落ち着いたら声をかけてみた。
「どうしたの?寒いよ?」
私の言ってることはわからないけど、ちゃんとコミュニケーションは取れそうな目をしていたので、
「とりあえずパンツはこうか」とオムツをはかせ、「よし、ねんねできる?ごろんできる?ごろーん!」と声かけると意外とあっさりごろんとしてくれた。よそのお子さんなので柵を下ろしてまで世話するのも責任問題になってくると困るので柵越しにとんとんしたり、布団をかけたり。するとものすごい力で私の髪をひっつかみ、にぎり締めて、眠り始めた。ちょ、ちょ、髪は痛いのでこちらでお願いしますよ、と手を握らせてあげると最初は納得しなかったものの、握れればなんでもいいやとばかりに両手で私の腕を捻り上げるくらいの力で眠り始めた。ねんね・・・ねんねよ・・・ととんとんしているうちに、寝た。
・・・いやあ、この状況はおかしいよなあ。。。
と心底思いつつ、とりあえず寝付いてくれたのでそーっと離れて想くんの元へ。
と思ったらぎゃー!と叫び出す。その声で想くんも目が覚める。なんとか叫び声の中、想くんを寝かしつけて女の子の元へ行くと、また素っ裸でおしっこしている。またオムツをはかせ、服を着せて、布団をかけて、とんとんして・・・一晩で5回くらいはそれを繰り返した。途中、看護師さんが来て私が世話しているのを見て、「はっ!申し訳ありませんーーー!!」という流れになったのが2回。私が想くんで手が放せなくてナースコールで呼んだのが2回。でも、女の子がどんなに叫んでいても、看護師さんたちはそうしょっちゅう来てはくれなかった。
「ちょっと泣くんですよ」ではない。女の子が叫ぶのにはちゃんと理由がはっきりあった。一番言いたいのは「ママに抱っこして欲しい、添い寝してほしい」。でもママが居ないのもわかっているから「誰でも良いから側にいてほしい」。だから世話を焼いてもらう為に、人を呼ぶ為に、服を脱ぐ。おしっこをする。叫ぶ。
言葉は悪いけど、虐待現場に立ち会ってしまった気分だった。
付き添いができない親御さんもたくさんいるし、いろんな事情があるのはよくわかる。女の子の胸の大きな手術痕。肺か心臓かが悪そうな咳。どうしても夜に抜けられない事情があるかもしれないのは想像できる。
そして、付き添いの居ない子どもにべったり貼り付くわけにも行かない病院の事情もわかる。
でも、今のこの女の子の状態は、異常だ。服を脱ぐことでかまってもらおうとするその精神状態は、普通じゃない。
この子に手を差しのべてあげられるのは、今のこの空間では私しかいない。でも私も熱が40度近い子どもの面倒を見なきゃいけない。何度も女の子が叫んでいるのに放置して想くんの面倒を見た。その度にとても悪いことをしている気がして胸が痛んだ。自分の子を放っておくことができなかった。でもその度見せる、女の子の泥のような目。きつい、きついぞ、この状況。
明け方、想くんがうなされるように「かあたん、とんとんして。とんとんして。(眠らせて)」とつぶやいてるのを聞いて、申し訳ないけど、本当に申し訳ないけど、私はここにいるべきではないぞ、と。自分の子どもの回復の為に、安らかな休息の為に動かなければ、と。ちょうどそのあとすぐ、朝5時に、けいれん止めの最後の処置の為に来た看護師さんに、部屋を変えるか、退院させるかしてほしいので先生に相談してもらうようにお願いした。とりあえず2回目の坐薬を入れればけいれんの処置は終わることは前回の入院で知っていたので、インフルの治療なら家でもできるし、脳波は外来で後日来ることも可能だろうと思ってのお願いだった。翌日の午後からは女の子に付き添いが来るのでもう少し様子を見てもらえませんかと言われたが、とりあえず先生に相談してもらうようにお願いした。
翌朝、回診に来た先生にも直談判した。看護師さんからはやっぱり話は通っていなくて、きょとんとしていた。先生は昨日けいれんしたばかりなのでもう一日様子を診させて欲しいと言った。別の部屋は用意してもらえますかと聞くと、部屋に空きはありません、と。申し訳ないけど、無理です。回復の妨げになっています。出させてください。と言うと、一瞬ムッとしていたけど、女の子の状況は先生も知っていたのと、朝食を食べたら想くんも熱が落ち着いてきて状態が良くなっていたので、結局許可されて、昼ご飯前には退院した。
退院しても、あの子を見捨てたようで、ずっと胸が苦しい。最後に状態を改善してもらうように病院側に意見したくて今にも口から出そうだったのに、今後も精密検査や救急でもお世話になる病院で、心象を悪くするのが怖くて飲み込んだ。自分の子どもかわいさに何もできなかったことをものすごく後悔している。なにがこどもの為の演劇だ、とまで思ってしまう。偽善だ。
無力だな、と。どうするのが正しかったのか、わからない。
告知が遅くなってしまいましたが、現在製作中の人形劇『イジーとまぬけな悪魔』のご案内です。
3月5・6日、福岡市博多区のトヨタハートフルプラザ福岡で開催される【福祉車輛体験フェア&お身体が不自由なキッズのおうちリフォームフェア】にて、501FURNITUREの家具の展示と人形劇『イジーとまぬけな悪魔』の上演を行います。
※人形劇の上演は6日のみ。
人形劇の上演の為に観覧申し込みページやチラシまで作っていただいて・・・身が引き締まる思いです。
普段とは違う環境での展示・上演ですが、どんな出逢いが待っているのかとても楽しみです。
みなさまのお越しをお待ちしていまーす!
【福祉車輛体験フェア&お身体が不自由なキッズのおうちリフォームフェア】→ http://www.mutohgkn.co.jp/info.html
◇日時◇ 3月5・6日 10:00〜18:00
◇場所◇ トヨタハートフルプラザ福岡
福岡市博多区東那珂2−1−55
◇お問合せ◇ 092‐477‐6187
入場無料・駐車場完備
人形劇『イジーとまぬけな悪魔』の上演は6日13:00〜
観覧申し込みは下記サイトかお電話にてお願いします。
http://www.mutohgkn.co.jp/appli.html
昨年、想くんはまだ1歳になったばかりで歩き始めたばかりで、まだ雪遊びなんかはできなかったので、
彼的には今年が人生初めての雪。
保育園に行く車の中で、
「たーたん、みてー、まっしろよぉ!」
と興奮を抑えきれないよう。でもすぐその後に、
「たーたん、みてー、まっくろよぉ!」
よくよく話を聞いてみると、一面の銀世界という程の降雪でもなかったので、
ところどころ雪が積もっていない部分があったり、風向きに寄っては雪の積もっていない屋根があったり。
あと、彼の大好きな鉄塔(送電するやつ)は積もる部分がないので、要は、雪が積もってない部分を見つけては、
まっくろ、と言っていたようでした。
雪ばっかり見てたら思いつかない。
深いな、2歳児。
「鉄塔は屋根がないからね。さむい、さむいって言いよるよ。」
「鉄塔〜、がんばれ〜」
とのことでした。
寒中お見舞い申し上げます。
年明け早々、圭くんの鼻の持病の手術があったり、想くんも私も体調をこわしたり。
ようやく落ち着いたらもう1月も半ばにさしかかってしまいました。
ここ最近は、おしりに火がついてぼうぼう燃えながら稽古している日々です。多分この状態が本番直前まで続く予感。
毎度のことながらもう少し余裕を持ちたい。迷惑被るのは美術家と、家族です。諸々申し訳ない。
昨年2015年は想くんが保育園に通い始め、言葉も体もどんどん発達し、子育てがどんどん楽しくなってきた1年でした。今年も更に発見の連続が予想されるので楽しみにしています。仕事の上での目標や区切りもいくつかあるので、もうとにかく日々、前進あるのみ。
最近常々感じるのは、『可能性』を信じていよう、ということ。目標や区切りは大切だし、自分の方向性や成すべきことはもちろん一番大切なものだとは思うのだけど、いつでもそれはひっくりかえる可能性があるのだと。思いもしない展開や違和感を感じることも、それは大切なヒントで、そして自分の世界の中で完結してしまっていては見ることができなかったであろう景色を見せてくれる可能性がある。まあ、そうじゃないことも、あるけど。自分で自分を型にはめすぎないで、出逢うものを面白がって行きたいものです。
今年もよろしくお願いします。
はじめまして。という挨拶が適切かどうかわかりませんが、ひょっとしたらはじめましての方がいるかもしれません。501FURNITUREの谷口です。
これまでは外部サイトで書き溜めて来た私のブログも501FURNITUREのウェブサイトリニューアルに伴ってこちらに移行することになりました。今後少しずつ移して行きたいと思います。
ブログ開始当初は演劇を中心とした日々の記録でしたが、気付いてみれば6年の月日が流れていました。
もちろん環境も状況もめまぐるしく変わりました。毎日演劇のことだけ考えていればよかった東京やチェコでの毎日も良かったですが、仕事と子育てに終われながらもどうしても演劇のことばかり考えてしまう毎日もそれはそれでおもしろいものです。
仕事のこと、家族のこと、演劇のこと。その他諸々。
引き続き、記録し続けて行きたいと思います。
素敵な501FURNITUREウェブサイトを作ってくださった、オフィスナイスのナイスな恒平さんに、
この場を借りてお礼を申し上げます。忙しいのに色々せっついてすみませんでした。。。
最近、写真は撮ってばかりで撮られてないので、とりあえずのイメージ写真を今日のところは。
宮崎を代表する企業にホームセンターのハンズマンってのがあるんですが。
半期に一度、ガラクタ市というセールをやります。驚異的な値段で驚異的な掘り出し物を発見することが多いセールなのですが。
そのガラクタ市の夢の後。想くんにそっくりなやつが95%オフくらいの現品処分で売られてた。
天然パーマだとだいたい何でも似て見えるので、ギョッとしました。
世の母と呼ばれる方々は本当にスゴい。
早朝5時とかに起きて弁当作ったり、家族が起きて来る前に家事を終わらせたりする、という私から見ると都市伝説としか思えない程の働きっぷりを多くの人がするらしい。
子どもが生まれると自動的にそういうことができるようになるのかと淡い期待を抱いてもうすぐ2年になりますが、
やはりいっこうにできる気配がしない、私。
そんな中でも今日はちょっと台本を読めたので気を良くしてブログまで更新、っと。
東村アキコが寸暇を惜しんでマンガを書く為に病院や学校で使うような、紙を挟むバインダーみたいなやつで原稿を書いてると
NHKの漫勉で見たのにおもっきり影響されて、私もやってみた。
二宮金次郎風味の気分にはなれたものの、これからやるべき膨大な作業量がぼんやり見えて慄然とする深夜0時。
台本読むのはやっぱり一番大切だな。ヒントがいっぱい隠されている。
せりふとト書きしか書いてないのに、その余白にいっぱい書いてある。そして書いてあることは読む度に変わる。
初日迎えても変わる。ダメな役者なので初日迎えるころにはもう台本を見なくなってしまうのですが、、、やっぱり見た方が良い気がする。
昔、偉い演出家の先生に稽古場に台本忘れて帰って翌日その台本で殴られたな。
「役者が台本忘れて帰るなんて、武士が刀忘れるようなもんだぞ!!!」
当時で御歳65歳くらいの偉い人だったので、怒り方が昭和やな、と震え上がりながら思ったのを覚えてます。
台本は、大事です。
とか言って思い出に浸っている間にも、台本読めよ、私。
この距離で「しーまーちゃん!め!」とわけもなく絶叫されることにももう随分慣れてはいますが、嫌は嫌らしいです。
久々に私が発熱したので昨晩は泥のように寝たらあっという間に平熱。まだまだ捨てたもんじゃないです。
が、まだ本調子ではないので家族が色々優しくしてくれます。
想くんは「たーたん(母ちゃん)、水、ぼぶ(飲む)?」とペットボトルを差し出してくれます。
そうなのです。最近の想くんはよく喋るので、子育ても格段に面白い域に突入してきました。
言葉って一度獲得してしまうとなかなか失われるものでもないので、
今のこの面白さ、豊かさは一瞬なんだろうなぁと思うと、一日一日が貴重です。
いつか「うるせえ!ばばあ!」とか言われるようになったらこの頃の写真や動画を見て咽び泣こうと思っています。
なので最近、言語の獲得について思いを馳せます。
例えば。
よく英語の会話で「you know...」という言葉が多用されているのを耳にします。
you knowって挟むとなんか英語喋れるっぽい、と感じる日本人な私です。
辞書見ると色々書いてますが、「えっと」とか「あの」とか「あのね」とか、言葉を探す時に使うことが多い言葉ですね。
チェコ語を勉強していた時もなんかあった気がします。レベル低すぎて例を出すのも恥ずかしいくらいですが・・・。
日本語でも「えっと」「あの」はもちろん言葉と言葉の間に無意識に近いレベルであまり意味のないことばを挟んで、
リズムを整えたり、会話のクッションにしたりすることは大事なことだと思います。
それって会話する能力を獲得していく上で、とても重要な過程だと思うのです。
そして想くんも最近、そのレベルに到達したらしく、言葉と言葉の間に「you know...」的な彼なりの言葉を挟んできました。
その言葉が
「たーとぅーり(カタツムリ)」
今年の梅雨の時期にたーとぅーり(カタツムリ)という夢のような生き物に初めて出逢い、
グーチョキパーでたーとぅーり(カタツムリ)を何百回も作り、歌い、
おじいちゃんちからたーとぅーりー(カタツムリ)をもらい、育て、仮死状態にまで追い込んだ挙げ句、門司の小川に放流し(放流したのは親。しかも放流寸前に仮死状態から蘇るホラー付き)。
おじいちゃんからオリジナルたーとぅーりー(カタツムリ)Tシャツまでもらい。。。
そんな想くんにとって、たーとぅーりー(カタツムリ)が、「えっと」や「あの」レベルで体に染み付いていて、無意識に口をついて出てしまうなんて・・・なんかもう、言語の獲得って奥深い!人類の進化の歴史や!と感動するとともに、
なぜ!なぜ「たーとぅーりー(カタツムリ)」!と突っ込みたい衝動が抑えきれない。他にも色々あるだろうに。。。
探していた赤い玉を見つけて「あ!ちて(見て)!たーとぅーりー、あか、あった!」
自作のピタゴラ装置を解説しながら「ここからぁ〜こうしてぇ〜、たーとぅーりー、ここで、こうする!こうする!ずごいー!おっぎぃ〜(特に大きくはない)!」
あと、たーとぅーりーの類義語として「おったい(オッパイ)」ていうのもある。
それならなんとなく頷けるんだが。。。