地震から今日で10日ほど過ぎました。
熊本、大分で被災された皆様には、心からお見舞い申し上げます。
未だに余震が続いているので落ち着いた気持ちはあまり無いですね。
東日本大震災のことがあるので、九州が地震、というと震源から遠く離れた北九州のことも心配してくれる遠方の友人が少なからずいてくれました。実際にしんどい思いをされている方を前にして、私が無事を報告するのもおこがましく感じたことと、震災後はSNSから遠ざかりたかったので、静かにしていました。ご心配頂いた方々、ありがとうございました。私たちは全くもって元気です。何の不自由もありません。
熊本に住んでいる知人の無事は確認されたものの、震災後すぐの混乱した状況の中で、食料もない、避難所もいっぱいで入れないので車の中にいる、飲物だけは飲んでいるという状況を聞いて、ただ胸を痛めるしかできない自分にやりきれない日々でした。北九州では市営住宅へ受け入れの準備もあるし、宿泊施設を開放していたりもします。余震が未だに続いているので、少しでも心休めてもらえたらと思うのですが。。。おいそれと行ける距離でもないので、気持ちは想像できます。自分たちに出来る支援を、長く、ゆっくり続けて行けたらと思っています。
今回は北九州も揺れました。数日は寝室に貴重品や水やオムツを置いていつでも逃げられるようにと準備をして横になったけど、結局数時間おきにけたたましく緊急地震速報が鳴るので眠れない夜を過ごしました。でもそれもほんの数日のこと。翌日からちゃんと仕事もしたし、保育園にも行けています。2日目の本震の時、夜中に緊急地震速報が何度も鳴って、想くんも目を覚まして少し怯えていました。翌朝も余震があってちょっと怖かったようで。その後、突然緊急地震速報の真似をしたり、ちょっと妙なそぶりを見せるので、心配していたのですが、今日ネットでこんな記事を見かけて少し安心しました。
誤解しないで。震災後に子どもがやる「変わった遊び」
『子どもはうまく言葉で表現できない部分、遊びという行動によって、癒されていきます』
教えてもないのに、こっちがびっくりするほど本能的に、こどもたちは生きている。私たちなんかより、よっぽどたくましい。見習わなきゃいかんですね。
東日本大震災の時、私は宮崎に居て、あと数週間で福岡に帰る、という時でした。
あの震災の時、ニュースやSNSを見すぎて、正直ちょっと辛くなってしまった時期がありました。何度も繰り返される悲痛な映像やSNS上で繰り広げられ続ける色んな人の色んな動き。デマ。メディアとの付き合い方は私にとってはとても重要な問題だとその頃から思うようになりました。
今回は、自分の為にも家族の為にも参っている時間はないので、ちゃんとコントロールして、冷静に、と心がけています。最低限の情報収集にとどめてPCとスマホはなるべく見ないようにつとめています。
自分ができることを、少しずつ、長く。傷ついた方のことを最優先に。
色んな人が色んなことを言うし、色んな人がいますが、おてんとさまは見ているぞ、と。肝に銘じて。
どっしゃーん!と声を大にして言いたい程溜め込んでいた事務仕事を締切前にきっちりやっつけたので、爽快な気持ちでブログを書かせていただこう。
4月に店長の保育園の先生ががらっと大幅入れ替えになってからというもの、人見知りの彼はなかなか緊張感のある日々を送っていました。4月中頃からははっきりと「保育園行きたくない!」と言い始め、まるで1年前に戻ったかのように入り口で号泣。という日々が続いており、心を痛めておりました。が、たまたま車で聞いていたCDに「100%勇気」が入っていて、最初はノリノリ、アゲアゲなその曲が嫌いだったのに、徐々になぜかその曲をリクエストするようになり。何度かかけているうちに急に黙り込んで「かあたん!そうくん、保育園、がんばる!」と宣言したのが1週間程前、以来、ほぼ毎朝100%勇気を聞いて、がんばる宣言をして、保育園に泣かずに行くようになりました。うーーーん、私は個人的に、さほどノリノリ、アゲアゲな人種でもないので、ヘイヘイ!煽ってまで行かせるのも嫌だなあと思うのですが、せっかくがんばる気持ちになってるのをわざわざ潰すのもかわいそうなので、「疲れたらいつでも泣いていいし、やめて良し。」とだけ伝えて見守ることに。という5月。
今年もどくんごに行った。というのが最近の大きめのトピック。安定の、世界観だった。今年は店長も連れて行った。ちなみに前日は映画館でディズニーのズートピアを見ている。ディズニーからの、どくんご。世の中には色んな人がいる。幅広い作品に親しんでいただこう。
まあでも、どくんごではさすがに2歳児はちょっと周りのかたに迷惑だったかなぁと反省。申し訳なかったです。でも外に出て、ユキモン一家とビールケースに座って袖から観たのがものすごく感動的だった。ぴかぴか光るテントの中でほとばしっている、熱。音響効果の計算外の場所で聞く、音。心臓みたいだな、と思った。どうか事故に気をつけて、出来るだけ長く、彼らの作品が見られますように。
さて家具のこと、人形劇のこと、このあとも色々続きますが、とりあえず6月上旬は東京に少し行きます。9月は京都。秋からは人形劇の上演がいくつか。詳細はおいおい。
とりあえず一番今見せたいのはこれ。
歳を重ねると人は野菜を育てたくなるのか。ついに今年、禁断のプチトマトに手を出してしまった。
店長が植えました。名前はアイコちゃんとウサコちゃん。実家の畑の土をわけてもらったらエラく成長してしまい、わき芽を取らないといけないのにすっかり伸びてしまったので
挿し木にしてやります。
楽しみです。
雨の日曜日。子連れで福岡市内なんかへは決して行きたくないお天気でしたが、えいやっ!とおでかけしたら、脳みそがカッカッと活き活きするような出逢いがあったので、思わず連投。
たまたま見かけた広告で、こどものカタチというサイトの存在を知り、その充実した内容と、自分の関心との一致に心躍らせたのが数週間前。車で行ける距離で研究会が開催されると知り、一も二もなく申し込んだのが、こちらのイベント
子どもの本屋メリーゴーランド京都店の店主、鈴木潤さんの出版記念講演でした。
諸事情により、30分も遅刻したので冒頭は聞き逃しましたが、聞き逃しても充分興味惹かれる、魅力溢れるお話でした。
開店の経緯等は冒頭部分だったのか聞けていないのですが、詳細はこどものカタチにインタビューとして掲載されています。
こどものカタチ/鈴木潤さんインタビュー
聞き手のこどものカタチの遠藤さんのテンポも秀逸で心地よく、リラックスしてお話を聞けて、さらに興味を持ちました。
何より、こういうことを公言するのがなんだか気恥ずかしい、でも、日本人気質とか言われるとムっとしてしまうのですが、
今、私が過ごしているこの日々は、かけがえがない、何とも引き換えにならないほど美しく、貴重だ。ということをゾッとする程感じる毎日なのです。例えば、私の夜の過ごし方はここ数ヶ月、いや、1年ほど?お風呂も食事も終えた息子を、早ければ21時前にはベッドに連れて行き、今日の絵本を読んであげ、そのまま自分も寝てしまう、というものです。当初、圭くんが寝かしつけをしてくれていたのですが、この寝る前の絵本、という至福の時間のあまりの幸福度に気付いたわたしはあっという間に圭くんからその貴重な仕事を奪ってしまいました。とはいえ、結構圭くんも一緒に寝落ちしてますが。
聞き手の遠藤さんが仰っていたのですが、多くのこどもは「魔法に近いところにいる」。まさに想くんもそんな感じで、ファンタジーの世界を生きる、妖精だなと感じる瞬間が多々あります。というか、24時間ほぼ妖精。それほど彼らが見ている世界は、私が忘れてしまった、そしてもう思い出せないかつての風景を新鮮に突きつけてきます。ああ、彼らにはこんな風に見えている。彼らにとって重要なのは、このポイントだったのか。日々、宝石のような発見が両手のひらからぼろぼろざあざあ落ちて、ああ、あっという間に終わってしまう時代なのに、私はなんてもったいないことをしているのだろう。と、日々切ない気持ちになります。
今日のお二人のお話は、そんな私が日々感じていている口惜しい感じを代弁してくれたような、2秒に一回「そうそう!うちも、そうそう!」と思うようなお話でした。
そして私の心をがっちり掴んで、寝かしつけの後、寝付けずにブログまで書かせてしまったのは、最後に紹介くださった絵本があまりにも素晴らしかったから。
死というよりもむしろ生を、めぐる命を取り扱っているお話。独特の絵のタッチに、想くんも目が釘付けになり、最後までなんというか・・・困惑?しているように見えました。ポジティブな意味で、困惑。なんだかわからないものに触れた時の、あの、何とも言えない反応。そしてその後、あっさり、ぐう、と寝ました。
ああ、すごいなあ、寝るんだ。こんなすごい本を読んだ直後に眠るんだ。とその事実に感動。このブログに至る。
木葉井悦子さん、もう亡くなられているんですね。初めて知りました。本当に素晴らしい本でした。
と、久しぶりに脳みそをかき回した午後でした。
先週、諸々用があって、東京へ。弾丸旅だったので各方面の方々に大変お世話になりました。ありがとうございました。
お礼と記録の意味もこめて、残しておこうと思います。
まずはにしすがも創造舎へ。ここで育ててもらったと言える、大切な場所。廃校を転用した稽古場施設。近隣の中学校の立て替えに伴って、仮校舎として再び利用されるとのこと。7月で事務所は引っ越しちゃうし、12月には完全に撤退すると聞いて、閉まる前にどうしても想くんを校庭のカモで遊ばせたかったので。
こどもに見せたい舞台シリーズでお世話になった場所ですが、ここでたくさんの出逢いと経験と、示唆と・・・語り尽くせない程多くのものをもらいました。と、私個人でもこんなに感謝している場所の軌跡をきっちり文章にしてくれているサイトがシェアされていたので、
詳細はこちらをごらんください。
↓
fringe.jp--東京のアーツセンターにしすがも創造舎
フィナーレに向けて、7月にはイベントも予定されているようです。もちろんこどもに見せたい舞台も。
としまアート夏祭り
そして一緒ににしすがもでお芝居を作っていた方々はたちかわ創造舎という新しい本拠地へ、と。立川へは翌日伺ったので、この詳細はまた後ほど。
きっとしばらくにしすがもに来る事もないので、懐かしの中華屋へ。潰れてなかった。でも、当時のマスターはやっぱり居なかった。
人は変わってもサービスしすぎなところは変わらず。想くんが愛想を振りまいた、という理由でデザートにキウイを出してくれた。
この店に想くんがいる、という不思議よ。。。
と、おセンチな気持ちになっている間に、私、重大なミスを犯しまして。
この後、西巣鴨からはるばる横浜KAATへ、私的にはこの旅一番の目的である舞台を見に行く予定だったのですが・・・。
ザ・開演時間を間違える。
何百本、いや、千本?数えた事無いけど、まあそれはそれなりに観て来ているのだけど、多分初めて。
江戸糸あやつり人形の一糸座さんの公演。な、なんとわれらが林由未さん(人形作家)が人形制作&その他諸々(それはもう膨大な仕事で語り尽くせない)で、そして、なんとなんとなんと、私が在チェコ時に作品制作した際に演出してくださった、ゾヤ・ミコトバーさんが部分演出、出演、というアンビリーバボな作品「ゴーレム」。随分前から企画が進んでいたような気がする。途中、ゾヤさんが絡む、来日する、と聞いてからはもうこの為に必ず行こうと決めていた作品。観劇中はゆみさんが想くんの面倒まで見てくれることになっていたのに。開場前でゆみさんは待ちぼうけ。開演時間過ぎても来ない私に電話したところ、ぼんやり電車に乗っているという悲劇。慌てた元町中華街の駅では真反対の出口に出るという失態。おかげで15分程、走る。2歳のこどもとスーツケースを引っ張って、走る。途中、ちょっと泣く。でも、想くんを抱えて走る圭くんの背中は触れると切れるナイフそのもので、何も言えなくて夏。。。
最近こういう事が多い。歳のせいにはしたくないけど、気をつけます。
という事件のせいで、観劇は翌日に私だけがすることに。一糸座さん、その他関係者の皆様には誠に申し訳ないかぎりですごめんなさい。
とはいえ、ゾヤさんとは終演後に感動の再会(見てないのに)。
その後、ゆみさんちの車で送迎までしてもらって(見てないのに)。
ゾヤさん達とごちそうまでしてもらって(見てないのに)。
たくさんおみやげをもらって、ホテルまで送ってもらって(見てないのにああ、見てないのに。)
もらってばかりの人生から、いつか卒業したいと思った横浜のホテルの夜。
続きはまた後日。
年末から少し体調が悪く、冬の間はずっとおとなしくしていたのですが、春が近づいてくるとともに体調も回復し、
ようやくお待たせしていた色々なことに取り掛かっている3月半ば。って、四半期終わっとるやないかい! いかがお過ごしでしょうか。
確定申告も滑り込みでなんとか間に合わせ、ここ数日でいくつか打ち合わせや今後のミーティングなどをして、
ようやく長い冬が終わって、桜の蕾がふくらむようにむくむくと動き始めて・・・春はいいですね。
今年のDivadlo501はちょっとのんびりと進んで行くことになりそうです。
春から初夏にかけて新作を2本、制作することになっていて、上演の予定も少し先の予定です。
近づいたらまた詳細はお知らせします。
保育園での演劇あそびは4月から本格的に始まります。こちらでも挑戦したいことが山盛り。楽しみです。
新作のうちのひとつは、0〜3歳の小さな小さな人たちに向けた作品。
昨年はオイリーカートでの感覚演劇のワークショップや、ベビードラマについてのワークショップなど、乳幼児のための演劇について考えることが多く、
機会があればいずれ作りたいと思っていたので、チャンス到来。上演はずいぶん先で11月ですが、楽しみにしています。
私が寝込むのと同時期から、10年飼ってきた猫も体調を崩してしまい。
一時期は本当にもうダメかと思うほど悪かったのですが、最近少し回復して、トイレも自分で行けるまでになりました。
暖かくなったらもう少し過ごしやすくなるかな。
春よ、早く来い。
超私事で恐縮ですが、先日、二人目の男の子を出産しました。
臨月入ってから「へその緒が首に二重に巻いてるから、陣痛来てみて降りられなさそうだったら緊急搬送して帝王切開ね。」という先生の言葉におののきつつ、想くんと同じくやはり予定日越えのマイペース男子は、陣痛来てもなかなか本気を出さず。これまた想くんと同じく朝を迎える頃には陣痛は遠のき。助産師さんから驚異の「農事センターに散歩に行ってこい」との指令を出され、ふーふー言いながら農事センターに行き。帰りにサンリブでソフトクリームまで食べ。それでもなお出てこず。3交代目の助産師さんは「この子、首巻いとるけねー!陣痛の間隔は縮まらんよ。えーい、命がけっ!っちゅーて、機会を伺っとるよ!」とのお言葉の通り、痛みのピークを迎えてからはあっという間だった気がします。そして出てきてみたら助産師さん曰く「あら、巻いとらんやないね!」自分でほどいて出てきてくれたらしい。入院してから20時間超えてましたが、最終的に取り上げてくださった三交代目の助産師さんの、「ほんとにヤバくなってからは・・・3時間くらいやね!」とのさじ加減で分娩時間は驚きの3時間になりました。さじ加減しすぎや!あんなに苦しんだのに!まあとにかく無事に出てきてくれただけで、もう、世界中に投げキッスでした気持ち的に。
今年の5月に、10年飼っていた猫が亡くなった。腎臓が悪かったのと、悪性リンパ腫だった。
想くんを火葬場まで連れて行った時。生まれてからずっと一緒だった人懐こい猫が、重く暗い扉の向こうに連れて行かれた瞬間に想くんが文字通り「うわーーーーん!!」と泣き出した。3歳のこどもにはちょっと辛すぎる体験だったなぁと、親としてこんなことしてよかったんだろうかと思ったりもしましたが、ただ、そうだなぁ、私も今一番発したい声は「うわーーーん!!」だなぁと心から思って想くんを抱きしめたのでした。
そのあと、遺骨を海にまきに行ったその海の潮風や、どこまでも広がっていそうな空の感じは、ちょっと言葉に言い表し難い、忘れられない印象的な風景だった。あの時のこと、想くんはどう思っているだろうか。
会いたくても、もう会えない人についてこんなに切実に想いを馳せる機会が多くなってきたのは、歳のせいか。
演劇に関わっているとフィクションの世界でそういうことを考える機会は多いものの、実際の生活の中で、もう会えない人へのその想いに囚われる程の切実さはなかったなと思う。囚われすぎていると演劇どころではなくなってしまうかもしれないけど。
先日亡くなった先輩方のことは、にわかには信じ難い、衝撃的なニュースだった。一人は私とさほど年も変わらない、在研同期の先輩で。くも膜下出血だった。これまでも革新的で、面白い仕事をたくさんしていて、これからもきっとわくわくさせ続けてくれるに違いない人で。一緒に色んな国に行って色んな芝居を見て、感想を分かち合った。一度その人に、ちょっと失礼な対応をする人がいて、それでも礼を尽くすその先輩に「なんでそんな奴に優しくするんですか?」って聞いたら「うーん・・・ホスピタリティー、かな。」とぽつりと言われて、ものすごくハッとさせられたことがあった。ノリノリでぎゃあぎゃあ話をするのが楽しい姉さんだったけど、根底に流れる品の良さと知性を感じて、そんな質問をした自分が恥ずかしくなった。切り返す言葉はいつも鋭くて、でもユーモアと優しさがあるから人が集まってくるような、憧れの人だった。
もう一人の方も、突然のことだったので呆然としてしまった。もう10年くらい前に一度だけ共演させていただいて、当時、アンサンブルでセリフも少ない私によく細々と優しくアドバイスいただいて、本当にお世話になった方だった。
どちらも、きっと亡くなった本人が一番びっくりしただろうな、怖かっただろうな、痛かっただろうな、と。悔しかっただろうなと思うと、胸が潰れる。
まだ生後間もないほやほやの赤子を前にして、死ぬことについてやたら考えてしまうのは、生まれることと死ぬことがとても近いからだろう。
出産の最中のことを思い返すと、先述の猫が、亡くなる瞬間のことがふと思い出される。
その日は友人宅に家族で出かけていて、帰りが少し遅くなった。珍しく想くんが帰りの車でぐっすり寝てくれたので、
いよいよ容態が悪化しつつある猫のケアをしてあげようと、圭くんと二人でオムツや体を拭くタオルなどを準備している時だった。
顔を見た瞬間、瞳孔が開ききっていていつもと違う目をしていた。体の動きも鈍く、体を拭こうとした私たちは様子がおかしいことにすぐ気がついた。
鈍い動きで徐々に硬直していく体。長い時間だったような、ほんの数分だったような、時間の感覚が歪む感じ。
カーッ、カーッ!と突然声にならない音を数回発して硬直しきってから、動かなくなった。
命が絶える瞬間を目の当たりにする機会がそんなに多くないので、愛猫が息絶える瞬間に、感情的に辛い部分は多かったが、どこか冷静に観察していたんだなと、ここまで細部にまで渡って覚えていることをみると、我ながらなるほど、と考え入ってしまう。
それがまさに出産の瞬間と、重なる。
出産の最中の自分の体の変化や、それに伴う精神的な変化も、とても近いものを感じた。動物的というか植物的というか・・・生きものだな、と。
植物を育てる時に、いくつかの種をまずはポットに撒いて、発芽させる。種にも古いもの、新しいけど小さいもの、傷が入っているもの、いろいろ個性がある。そこから発芽するもの、しないもの、発芽したけどいびつなもの、そこから日当たり、風通し、土の栄養状態、肥料、様々な環境の要素でどんな花を咲かせるか、実を実らせるか、まったく違う一生を終える。枯れていく様もまた、それぞれ個性的だ。生まれ持った種の個性から育っていく環境で、それぞれの個体の特徴というものが決まる。人間でいうところの身体性、だろうか。体の癖、性質、ひいては細胞ひとつひとつにも癖がある気がする。例えば、長距離走をしたあとの喘息、それが落ち着いていく経過。風邪をひいてから治るまでの過程。怪我をして、それが治っていく過程、などなど。40年近く生きているとさすがに自分の体が繰り返しがちな特徴というものがわかってくる。
お産も、ひとそれぞれ。いろんな過程を辿るが、ひとつの花が咲いて、受粉して、めしべが大きく膨らみ、実が形成されて、熟して実が落ちる。
その過程にお産はとてもよく似ている。
久々に文章を書いたのであっちこっちに話が飛んで・・・ホルモンバランスの乱れのせいです。あはは。
閑話休題。
別段、前述の「会いたくてももう会えない人問題」や、「生死についての疑問」を解決するわけでもなんでもないのだが、度々見返す記事がある。
毎日新聞の高橋源一郎さんの人生相談。会いたくてももう会えない人のことや生死についての考察が頭を離れない時に見返すと、なんだか気持ちがしゃんとするので、今年は幾度となくこの記事を引っ張り出しては読み返していた。
中絶した経験と向き合えず
あなたは、他の人が苦しまないようなことを前にしても苦しみます。
でも、それは、あなたが他の人たちよりもずっと敏感に、繊細に、世界に対している、ということです。
あなたは、他の人たちより、多く苦しむでしょう。けれども、それ故に、世界の素晴らしさと複雑さを、より多く感じることができるはずです。
苦しみを忘れない限り、あなたの生涯は他の誰よりも豊かになるでしょう。
そして、いつかきっと気づくはずです。それが、生まれなかった子供から、あなたへの贈り物であったと。
生まれた子に、「然(ぜん)」という名前をつけました。
発端はこの記事に出てくる「善」という言葉だったけど、いろいろあって、この「然」という字にしました。
お兄ちゃんは今のところ赤ちゃん返りすることもなく、お兄ちゃん風を吹かせてお手伝いをがんばってくれたり、何より然くんが好きすぎてキスばっかりしています。そして二人目以降は気がぬけるというか楽になるとは巷でよく聞きますが・・・確かにすごく穏やかな気持ちで日々過ごしています。なによりおっぱいトラブルがなく、よく寝てくれるので。。。想くんの時はおっぱいが出ずにひもじい想いをさせて眠れない日々を過ごさせて申し訳なかったですが、想くんが頑張ってよく飲んでくれたおかげで今回はものすごく楽です。そして気が抜けすぎて臍の緒をなくしました・・・ええっと・・・実家がマンション住まいなのでビル風が強くて・・・飛ばされちゃったのかなぁ、なんて・・・。
無事に生まれてくれたことに心から感謝しつつ、大切に育てて行きたいと思います。
昨日13日から始まった、枝光まちなか芸術祭2017。
すんぷちょさんの「ちいさなうみ」は製作段階からFBで拝見していて、見たくてたまらない演目だった。
上演を見ることはできないけど、レポートが聞けるとあって、こどもたちを預けてひとり、枝光へ。
オイリーカートのワークショップからちょうど1年。まさか北九州でこんなにオイリーカートの話を聞くことになるとは!
オイリーカートは30年余の歴史を持つ、幼児からさまざまな障碍を持つこどもたちを含む、すべてのこどもたちのために舞台作品を作ってきたイギリスの劇団。昨年、インクルーシブシアターワークショップを東京と仙台で開催し、私は東京のワークショップに参加したのです。
あまりに劇的な出会いなので、ここで語るのは割愛して、詳細はこちらの記事をご覧ください。
オイリーカートWS
仙台で活動していらっしゃるすんぷちょさん。以前から度々枝光にはいらしていたのに、なかなかタイミングが合わず、まだ拝見できてなくて、
お話をきいてさらに「ああ、見とけばよかった!」とじりじりするほど、面白そうな活動をしてた。
作品の構成や俳優の選び方、楽器の選択、オブジェクトの選択。。。ただワークショップを開催して、受けて、はい、終了ではなくて、ワークショップののちに、そのノウハウやこれまでの経験を元にひとつの作品を作り上げるところまで持っていけてることにとても感動した。
ダイジェストや、片鱗しか見られなかったけど、確実にオイリーカートのエッセンスを吸収し、すんぷちょらしく新たに生み出された作品のように感じた。また、ソーシャルストーリーや、事前の保護者との打ち合わせなど、作品製作以外の部分のノウハウもきっちり受け継いでいて、完璧だった。それもこれも、やはり、すんぷちょさんのこれまでの活動があってこその、その応用力だな、と思った。出会うべくして出会った、という感じ。
そしてやはりちゃんとマジカルな瞬間は生まれていたようで。参加者の少年たちの様子を追った映像を見せていただいたのだが、、、これがまた感動的だった。ひとりの少年は、劇場に足を踏み入れたこともなく、日頃は家でDVDを見たり、ドライブに行くことが楽しみ。そんな少年が舞台作品を鑑賞できるだろうか、と、親御さんは打ち合わせの段階からかなり心配していたようだった。当日も緊張のせいか、劇場には入れず、駐車場の車の中にいた。俳優が遠くから踊ってみたり、親御さんが小道具を車の中に持って行って触らせたり。少しずつ距離を縮めて、最後には劇場の入り口付近でネームソングを迎え、名前を呼ばれて手を振っていた。胸が熱くなる瞬間だった。
演劇というコミュニケーションは、この手触りは、他のどの芸術にも置き換えられない。
自分にできることがまだまだたくさんあるなぁ、と。まだやってないことがこんなにある!とあちこちつつかれて、ドキドキした。未来の可能性にこんなにわくわくできて、気持ちの良い帰り道だった。
が。
0歳も3歳も、こどもたちはちょっと寂しかったようで、マンションの下で私の車を待ってると言われてぶっ飛ばして帰りました。
0歳の方はその後から今に至るまで、ギャンです、はい。
枝光まちなか芸術祭2017。
今年もとっても面白そう。太めさん、見たい。今年こそ、見たい。。。行けるのか、私。がんばれ、0歳。。。
以前、501FURNITUREのきのこイス製作WSでお世話になった、福智町の図書館、ふくちのち。
ちょうどいま、ヤマネコ毛布の原画展をやっていて、紙版画のワークショップがありました。
ヤマネコ毛布は想くんも私も大好きな絵本。しかも山福さんが紙版画のワークショップ!そして我が家は断然の猫派!
とあらば、昨年亡くなったしまちゃんの遺影を紙版画で作ろうではないか!ということで、ノリノリで参加してきました。
厚めの紙に下絵を描いて、ニードルなどで引っ掻いて。。。
油性のインクの匂い。小学校の木版画以来。懐かしい。
想くんがプレスしました。いいなあ、プレス機。
いやあ、版画っておもしろい!!
山福さん曰く、インクを入れるのも、拭き取るのも、全部がニュアンスになる。
我々、絵のセンスは皆無ですが、
良い感じに遺影っぽく仕上がって、大満足しております。
またやりたいなぁ、紙版画。
ヤマネコ毛布原画展は2/12まで。
来週は山福さんのライブもあるらしいです。山福さん、多才だ。。。
なんだかまた忘れられない時間を過ごしたので、忘備の為記録。
日曜の夜想くんが2回目の熱性けいれんで救急搬送、入院して、諸々あって一日で出ることになった。無力感でいっぱいの、深夜。
日曜朝から発熱。熱の上がり方が早かったのと、39度超えていたので救急に連れて行ったけど、熱が出てすぐはインフルの反応が出ないので検査しない。が、インフルの可能性大とのこと。熱冷ましを積極的に使うよう勧められる。その時はけいれん止めのことについては特にこちらも聞かなかった。結構食欲があったり、元気もあるように見えていたのと、なにより2回目があるとは思っていなかった油断。保育園に通い始めて9ヶ月目の先月1月は、一度も体調を崩すことなく、大雪で一日だけお休みした意外、週6日も保育園に通っていたので、ずいぶん強くなったと誇らしく思っていた。熱性けいれんは1回しか起こさない人が65%、とか7割、という統計を見たりしていたので、まあ大丈夫だよ、くらいに思っていた。
夜になってちょっとだるそうにしたり、なんだかまばたきがやたら多いと気付く。圭くんが膝の上に載せている時に一瞬脚がつっぱるような動きを見せたりして少し不安になる。その時にけいれん止めを入れるべきか、否かでしばらく話すが、結局迷って入れず。万が一けいれんした場合も救急車呼んで良いものかどうかについてしばらく話をする。7時半頃に寝かしつける時も結構機嫌良くお話しして、私のマスクを取ったりして布団の中で遊んでいた。「ちょっとおなか痛い」とかなんとか言ったその時、突如目がぱっと開いたと思ったら、思い出したくもないあの目つきに一瞬で変わった。前回よりは落ち着いて、時間を計ったり、様子を口に出して確認したりしたけど、やっぱりもう本当に心から、二度と見たくないあの姿。胸が潰れる。
やっぱり怖くて救急車を呼んでしまった。けいれん時間は3分。おわりがけに左右非対称の動きを見せたので不安。救急隊もすぐに来てくれて前回と同じ救急病院へ。
診断は案の定のインフルエンザ。2回目のけいれんということもあり、左右非対称の件もあるので、入院することに。
諸々手続きや点滴を経て病棟へ移動。その途中で看護師さんが
「ご案内する部屋はインフルエンザのお部屋なんですが・・・同室のお子さんが付き添いがいなくて・・・ちょっと泣くんですよ。。。申し訳ないです。」
小児科に入院すると付き添いがいない子がたまにいることは前回の入院で知っていたけど、まあつきそいが居ても泣く子は泣くし、想くんだって泣くこともあるのでお互い様、ぐらいに思っていた。
病室に入って、ぎょっとした。
すっ裸で、幼児用のベッドの柵にしがみついて叫んでいる女の子。
「ごめんなさいね、脱いじゃうんですよ。はい、◯◯ちゃん、パンツはいて!」
2歳にならないくらいだろうか。想くんより体は大きいけど、言葉ははっきりしない。胸に大きな手術痕のある、女の子。ベッドの周りには脱ぎ散らかしたオムツがいくつか、シーツやベッドパッド、枕、布団、おもちゃ・・・。マットレスの上はおもらしの跡がたくさん。よほど病院とはかけ離れた状況にしばらく頭が付いて行かず。想くんの点滴ガラガラを押しながら「いや、これ普通の状況じゃないよな。」と何度も思いつつもとりあえず想くんをベッドに寝かしたり、諸々整えたり。その間も延々叫ぶ女の子。看護師さんもしばらくは女の子の相手をしていたけど、そのうちさじを投げるかのように出て行った。その背中に向かって叫ぶ女の子。
タイミングよく想くんが眠ってくれたので、ちょっと落ち着いたら声をかけてみた。
「どうしたの?寒いよ?」
私の言ってることはわからないけど、ちゃんとコミュニケーションは取れそうな目をしていたので、
「とりあえずパンツはこうか」とオムツをはかせ、「よし、ねんねできる?ごろんできる?ごろーん!」と声かけると意外とあっさりごろんとしてくれた。よそのお子さんなので柵を下ろしてまで世話するのも責任問題になってくると困るので柵越しにとんとんしたり、布団をかけたり。するとものすごい力で私の髪をひっつかみ、にぎり締めて、眠り始めた。ちょ、ちょ、髪は痛いのでこちらでお願いしますよ、と手を握らせてあげると最初は納得しなかったものの、握れればなんでもいいやとばかりに両手で私の腕を捻り上げるくらいの力で眠り始めた。ねんね・・・ねんねよ・・・ととんとんしているうちに、寝た。
・・・いやあ、この状況はおかしいよなあ。。。
と心底思いつつ、とりあえず寝付いてくれたのでそーっと離れて想くんの元へ。
と思ったらぎゃー!と叫び出す。その声で想くんも目が覚める。なんとか叫び声の中、想くんを寝かしつけて女の子の元へ行くと、また素っ裸でおしっこしている。またオムツをはかせ、服を着せて、布団をかけて、とんとんして・・・一晩で5回くらいはそれを繰り返した。途中、看護師さんが来て私が世話しているのを見て、「はっ!申し訳ありませんーーー!!」という流れになったのが2回。私が想くんで手が放せなくてナースコールで呼んだのが2回。でも、女の子がどんなに叫んでいても、看護師さんたちはそうしょっちゅう来てはくれなかった。
「ちょっと泣くんですよ」ではない。女の子が叫ぶのにはちゃんと理由がはっきりあった。一番言いたいのは「ママに抱っこして欲しい、添い寝してほしい」。でもママが居ないのもわかっているから「誰でも良いから側にいてほしい」。だから世話を焼いてもらう為に、人を呼ぶ為に、服を脱ぐ。おしっこをする。叫ぶ。
言葉は悪いけど、虐待現場に立ち会ってしまった気分だった。
付き添いができない親御さんもたくさんいるし、いろんな事情があるのはよくわかる。女の子の胸の大きな手術痕。肺か心臓かが悪そうな咳。どうしても夜に抜けられない事情があるかもしれないのは想像できる。
そして、付き添いの居ない子どもにべったり貼り付くわけにも行かない病院の事情もわかる。
でも、今のこの女の子の状態は、異常だ。服を脱ぐことでかまってもらおうとするその精神状態は、普通じゃない。
この子に手を差しのべてあげられるのは、今のこの空間では私しかいない。でも私も熱が40度近い子どもの面倒を見なきゃいけない。何度も女の子が叫んでいるのに放置して想くんの面倒を見た。その度にとても悪いことをしている気がして胸が痛んだ。自分の子を放っておくことができなかった。でもその度見せる、女の子の泥のような目。きつい、きついぞ、この状況。
明け方、想くんがうなされるように「かあたん、とんとんして。とんとんして。(眠らせて)」とつぶやいてるのを聞いて、申し訳ないけど、本当に申し訳ないけど、私はここにいるべきではないぞ、と。自分の子どもの回復の為に、安らかな休息の為に動かなければ、と。ちょうどそのあとすぐ、朝5時に、けいれん止めの最後の処置の為に来た看護師さんに、部屋を変えるか、退院させるかしてほしいので先生に相談してもらうようにお願いした。とりあえず2回目の坐薬を入れればけいれんの処置は終わることは前回の入院で知っていたので、インフルの治療なら家でもできるし、脳波は外来で後日来ることも可能だろうと思ってのお願いだった。翌日の午後からは女の子に付き添いが来るのでもう少し様子を見てもらえませんかと言われたが、とりあえず先生に相談してもらうようにお願いした。
翌朝、回診に来た先生にも直談判した。看護師さんからはやっぱり話は通っていなくて、きょとんとしていた。先生は昨日けいれんしたばかりなのでもう一日様子を診させて欲しいと言った。別の部屋は用意してもらえますかと聞くと、部屋に空きはありません、と。申し訳ないけど、無理です。回復の妨げになっています。出させてください。と言うと、一瞬ムッとしていたけど、女の子の状況は先生も知っていたのと、朝食を食べたら想くんも熱が落ち着いてきて状態が良くなっていたので、結局許可されて、昼ご飯前には退院した。
退院しても、あの子を見捨てたようで、ずっと胸が苦しい。最後に状態を改善してもらうように病院側に意見したくて今にも口から出そうだったのに、今後も精密検査や救急でもお世話になる病院で、心象を悪くするのが怖くて飲み込んだ。自分の子どもかわいさに何もできなかったことをものすごく後悔している。なにがこどもの為の演劇だ、とまで思ってしまう。偽善だ。
無力だな、と。どうするのが正しかったのか、わからない。
昨年、想くんはまだ1歳になったばかりで歩き始めたばかりで、まだ雪遊びなんかはできなかったので、
彼的には今年が人生初めての雪。
保育園に行く車の中で、
「たーたん、みてー、まっしろよぉ!」
と興奮を抑えきれないよう。でもすぐその後に、
「たーたん、みてー、まっくろよぉ!」
よくよく話を聞いてみると、一面の銀世界という程の降雪でもなかったので、
ところどころ雪が積もっていない部分があったり、風向きに寄っては雪の積もっていない屋根があったり。
あと、彼の大好きな鉄塔(送電するやつ)は積もる部分がないので、要は、雪が積もってない部分を見つけては、
まっくろ、と言っていたようでした。
雪ばっかり見てたら思いつかない。
深いな、2歳児。
「鉄塔は屋根がないからね。さむい、さむいって言いよるよ。」
「鉄塔〜、がんばれ〜」
とのことでした。