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会いたくてももう会えない人

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超私事で恐縮ですが、先日、二人目の男の子を出産しました。
臨月入ってから「へその緒が首に二重に巻いてるから、陣痛来てみて降りられなさそうだったら緊急搬送して帝王切開ね。」という先生の言葉におののきつつ、想くんと同じくやはり予定日越えのマイペース男子は、陣痛来てもなかなか本気を出さず。これまた想くんと同じく朝を迎える頃には陣痛は遠のき。助産師さんから驚異の「農事センターに散歩に行ってこい」との指令を出され、ふーふー言いながら農事センターに行き。帰りにサンリブでソフトクリームまで食べ。それでもなお出てこず。3交代目の助産師さんは「この子、首巻いとるけねー!陣痛の間隔は縮まらんよ。えーい、命がけっ!っちゅーて、機会を伺っとるよ!」とのお言葉の通り、痛みのピークを迎えてからはあっという間だった気がします。そして出てきてみたら助産師さん曰く「あら、巻いとらんやないね!」自分でほどいて出てきてくれたらしい。入院してから20時間超えてましたが、最終的に取り上げてくださった三交代目の助産師さんの、「ほんとにヤバくなってからは・・・3時間くらいやね!」とのさじ加減で分娩時間は驚きの3時間になりました。さじ加減しすぎや!あんなに苦しんだのに!まあとにかく無事に出てきてくれただけで、もう、世界中に投げキッスでした気持ち的に。

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今年の5月に、10年飼っていた猫が亡くなった。腎臓が悪かったのと、悪性リンパ腫だった。
想くんを火葬場まで連れて行った時。生まれてからずっと一緒だった人懐こい猫が、重く暗い扉の向こうに連れて行かれた瞬間に想くんが文字通り「うわーーーーん!!」と泣き出した。3歳のこどもにはちょっと辛すぎる体験だったなぁと、親としてこんなことしてよかったんだろうかと思ったりもしましたが、ただ、そうだなぁ、私も今一番発したい声は「うわーーーん!!」だなぁと心から思って想くんを抱きしめたのでした。
そのあと、遺骨を海にまきに行ったその海の潮風や、どこまでも広がっていそうな空の感じは、ちょっと言葉に言い表し難い、忘れられない印象的な風景だった。あの時のこと、想くんはどう思っているだろうか。

会いたくても、もう会えない人についてこんなに切実に想いを馳せる機会が多くなってきたのは、歳のせいか。
演劇に関わっているとフィクションの世界でそういうことを考える機会は多いものの、実際の生活の中で、もう会えない人へのその想いに囚われる程の切実さはなかったなと思う。囚われすぎていると演劇どころではなくなってしまうかもしれないけど。

先日亡くなった先輩方のことは、にわかには信じ難い、衝撃的なニュースだった。一人は私とさほど年も変わらない、在研同期の先輩で。くも膜下出血だった。これまでも革新的で、面白い仕事をたくさんしていて、これからもきっとわくわくさせ続けてくれるに違いない人で。一緒に色んな国に行って色んな芝居を見て、感想を分かち合った。一度その人に、ちょっと失礼な対応をする人がいて、それでも礼を尽くすその先輩に「なんでそんな奴に優しくするんですか?」って聞いたら「うーん・・・ホスピタリティー、かな。」とぽつりと言われて、ものすごくハッとさせられたことがあった。ノリノリでぎゃあぎゃあ話をするのが楽しい姉さんだったけど、根底に流れる品の良さと知性を感じて、そんな質問をした自分が恥ずかしくなった。切り返す言葉はいつも鋭くて、でもユーモアと優しさがあるから人が集まってくるような、憧れの人だった。
もう一人の方も、突然のことだったので呆然としてしまった。もう10年くらい前に一度だけ共演させていただいて、当時、アンサンブルでセリフも少ない私によく細々と優しくアドバイスいただいて、本当にお世話になった方だった。
どちらも、きっと亡くなった本人が一番びっくりしただろうな、怖かっただろうな、痛かっただろうな、と。悔しかっただろうなと思うと、胸が潰れる。

まだ生後間もないほやほやの赤子を前にして、死ぬことについてやたら考えてしまうのは、生まれることと死ぬことがとても近いからだろう。
出産の最中のことを思い返すと、先述の猫が、亡くなる瞬間のことがふと思い出される。
その日は友人宅に家族で出かけていて、帰りが少し遅くなった。珍しく想くんが帰りの車でぐっすり寝てくれたので、
いよいよ容態が悪化しつつある猫のケアをしてあげようと、圭くんと二人でオムツや体を拭くタオルなどを準備している時だった。
顔を見た瞬間、瞳孔が開ききっていていつもと違う目をしていた。体の動きも鈍く、体を拭こうとした私たちは様子がおかしいことにすぐ気がついた。
鈍い動きで徐々に硬直していく体。長い時間だったような、ほんの数分だったような、時間の感覚が歪む感じ。
カーッ、カーッ!と突然声にならない音を数回発して硬直しきってから、動かなくなった。
命が絶える瞬間を目の当たりにする機会がそんなに多くないので、愛猫が息絶える瞬間に、感情的に辛い部分は多かったが、どこか冷静に観察していたんだなと、ここまで細部にまで渡って覚えていることをみると、我ながらなるほど、と考え入ってしまう。
それがまさに出産の瞬間と、重なる。
出産の最中の自分の体の変化や、それに伴う精神的な変化も、とても近いものを感じた。動物的というか植物的というか・・・生きものだな、と。
植物を育てる時に、いくつかの種をまずはポットに撒いて、発芽させる。種にも古いもの、新しいけど小さいもの、傷が入っているもの、いろいろ個性がある。そこから発芽するもの、しないもの、発芽したけどいびつなもの、そこから日当たり、風通し、土の栄養状態、肥料、様々な環境の要素でどんな花を咲かせるか、実を実らせるか、まったく違う一生を終える。枯れていく様もまた、それぞれ個性的だ。生まれ持った種の個性から育っていく環境で、それぞれの個体の特徴というものが決まる。人間でいうところの身体性、だろうか。体の癖、性質、ひいては細胞ひとつひとつにも癖がある気がする。例えば、長距離走をしたあとの喘息、それが落ち着いていく経過。風邪をひいてから治るまでの過程。怪我をして、それが治っていく過程、などなど。40年近く生きているとさすがに自分の体が繰り返しがちな特徴というものがわかってくる。
お産も、ひとそれぞれ。いろんな過程を辿るが、ひとつの花が咲いて、受粉して、めしべが大きく膨らみ、実が形成されて、熟して実が落ちる。
その過程にお産はとてもよく似ている。

久々に文章を書いたのであっちこっちに話が飛んで・・・ホルモンバランスの乱れのせいです。あはは。
閑話休題。

別段、前述の「会いたくてももう会えない人問題」や、「生死についての疑問」を解決するわけでもなんでもないのだが、度々見返す記事がある。
毎日新聞の高橋源一郎さんの人生相談。会いたくてももう会えない人のことや生死についての考察が頭を離れない時に見返すと、なんだか気持ちがしゃんとするので、今年は幾度となくこの記事を引っ張り出しては読み返していた。

中絶した経験と向き合えず

あなたは、他の人が苦しまないようなことを前にしても苦しみます。
でも、それは、あなたが他の人たちよりもずっと敏感に、繊細に、世界に対している、ということです。
あなたは、他の人たちより、多く苦しむでしょう。けれども、それ故に、世界の素晴らしさと複雑さを、より多く感じることができるはずです。

苦しみを忘れない限り、あなたの生涯は他の誰よりも豊かになるでしょう。
そして、いつかきっと気づくはずです。それが、生まれなかった子供から、あなたへの贈り物であったと。

生まれた子に、「然(ぜん)」という名前をつけました。
発端はこの記事に出てくる「善」という言葉だったけど、いろいろあって、この「然」という字にしました。

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お兄ちゃんは今のところ赤ちゃん返りすることもなく、お兄ちゃん風を吹かせてお手伝いをがんばってくれたり、何より然くんが好きすぎてキスばっかりしています。そして二人目以降は気がぬけるというか楽になるとは巷でよく聞きますが・・・確かにすごく穏やかな気持ちで日々過ごしています。なによりおっぱいトラブルがなく、よく寝てくれるので。。。想くんの時はおっぱいが出ずにひもじい想いをさせて眠れない日々を過ごさせて申し訳なかったですが、想くんが頑張ってよく飲んでくれたおかげで今回はものすごく楽です。そして気が抜けすぎて臍の緒をなくしました・・・ええっと・・・実家がマンション住まいなのでビル風が強くて・・・飛ばされちゃったのかなぁ、なんて・・・。

無事に生まれてくれたことに心から感謝しつつ、大切に育てて行きたいと思います。